命をとして学ぶ理由がある

このサイトを見ている皆さんは、もしかしたら、若い人かもしれません、僕は41歳ですが、僕よりも年上のジョジョファンかもしれません。それでも、老若男女問わず死ぬまで勉強は続けないといけないと思います。僕はコンピュータの専門学校を卒業してからコンピュータの会社に就職しました。でも、昔から勉強が本当に嫌いでした。もちろん、それは就職しても変わらず、同期が必死に勉強しているのに、就職できたんだから勉強なんてしなくていいやと勉強しませんでした。会社やプライベートなことでいろいろ問題を起こして、結局は、自分でやめることを決意しました。言ってみれば金銭問題です。せっかくいい会社に入ったのに2年勤めてやめてしまいました。水泳のコーチをしている今でも、もう20年もたっているのにどうしていやでもしがみつかなかったのだろうと後悔することがあります。そして、同時に、一度、道を外れてしまうと、もう二度とちゃんとした道には戻れないのじゃないのかという不安があります。現に、学卒で入ったその会社の給料より今の給料のほうが少ないんですから。今、ここを読んでくれている方の中にはアルバイトの方や契約社員の方やもしかしたら、無職の方もおられるのかもしれません。今、何をしているのと問われても、まぁ、別にと、言葉を濁さざるを得ない人もいるかもしれません。僕は給料を人と比べてしまって、おそらく、同年代と比べて、生きる価値が半分以下だと自分を責めてしまっています。せっかく、お父さんとお母さんに命を与えてもらったのにそんな風に思ってはいけないとわかっているのですけれど。僕は道を踏み外したのですけれど、心優しい両親に救われ、逆に、今は人に生きるパワーを与えたいと努力しているのです。

ジョジョの1部でツェペリはもしかしたら、死ぬ運命を避けることができたかもしれません。石仮面のことをほったらかしにしておけば、もしかしたら、自分は死ぬことはなかったかもしれない。でも、波紋を学ぶことを自ら志願し、その果ての死へと進むことになるのです。そこで、言ったのが

命をとして学ぶ理由がある。

皆さんは何のために学ぶのですか?お金儲けのためですか?苦しんでいる人を救うためですか?僕はその両方です。もしかしたら、死んでいたかもしれないこの命を誰かのために使わないでどうするんだと、今は思います。