スタンドは、スタンド使いにしか、見えないというルールがあります。
ジョジョの物語の中で、スタンド使いかどうかを判断する時に、スタンドが見えるかどうかが一つの指針として見受けられます。
本体が本体を見ても、その人がスタンド使いかどうかは分からなくて、スタンドを出して初めてその人がスタンド使いということが分かるといった具合です。
そのあたりのルール付けは、3部の時から共通で、あとから追加されたルールなどもあります。
3部の時点で、遠隔操作型や近距離パワー型や自動操縦型などといったワードは出てこなかったと思います。
そして、第4部でスタンド使い同士は引かれあうといったワードが使われ始めています。
ジョジョの第4部が連載されたいた1992年の深夜放送でナイトヘッドという超能力ドラマが放送されています。僕はこのドラマが好きで、再放送か当時のVHSを何度も何度も見た覚えがあります。そのなかで、次のようなセリフがあるんですね。
お前たちはマイナスのパワーをひきつける
飛呂彦先生がスタンドは超能力を具現した姿と言っておられますが、ナイトヘッドの登場人物は、まさに、スタンド能力と同じような超能力をたくさん使用できます。
このマイナスのパワーというは、同じく超能力を持った人たちのことでナイトヘッドの物語の中でも、超能力者同士が、なぜか、頻繁に出会うんです。
もちろん、その物語の中でも、超能力を使用していないとき、もしくは遠隔操作しているときは、一般人と見分けがつかないので、本体はどこだ?と探すシーンも出てきますよ。
さて、話はそれましたが、ジョジョの中でも、能力者と非能力者が明確に区別されています。
特に3部以降のキャラクターたちは、ほぼ全員能力者です。
主要な人物で非能力者はスティーブン・スティールくらいなんじゃないでしょうか?
ジョジョの中では、特に描写はないですが、能力のある人と能力のない人の差はあるはずです。それは、現実世界でも同じです。
僕には、本当に能力がありません。頭は悪いし、ひらめきはないし、仕事も正社員ではないですし、いい容姿は持ち合わせていないですし、根性はないし、勇気もないです。何もかも、持っていない、完全に非能力者です。
昨日は、高校の同級生と忘年会がありました。
周りの同級生たちは能力者でした。
仕事もある。子供もいる。お金もある。家もある。
能力者同士は引かれあうですよね。たまたま、能力者に触れあいましたが、普段は、なかなか触れ合うことはないんです。
いろんな、刺激のある話がしたい。あれもやりたい、これもやりたい。でも、できないと、もどかしい気持ちで生きています。
何のために生きているのだろうとか、思うこともあります。
もちろん、このジョジョブログを見てくださっている方が、もしいらっしゃるなら、ジョジョを通じて生きる力を伝えてあげたいというのが、本音です。
でも、それを伝える力もないんですよね。
でも、きっと、努力をしていれば、きっと能力者になって、スタンド能力も身につけて、スタンド使いとひかれあうことになる気がします。
矢を体に受ければ、スタンド使いとして、覚醒できるんですよね。
でも、その前に、夜に選ばれないといけないですので、選ばれるように、必死で努力します。
本当に必死で努力しても、矢に選ばれなかったら、矢に選ばれたとしても、矢に貫かれてそのまま死に至ったとしても、もはや後悔はないです。
このジョジョブログと株式投資とダイエットを通じて人生を謳歌していく。それが、僕の生き方です。