正岡子規は、病気の痛みと寒さをしのぐために、忙しすぎてだめだというくらいせっせといろんなことをこなしていたらしい。
そうでもしないと、気が参ってしまったよう。
明らかに病人にしてはオーバーワーク。
そうでもしないと、生きくという気力がわかなかったようだ。
そう、スイッチングウィンバックができるのも、明日の希望が少しでもあるからだ。
もし、近いうちに死んでしまうとわかっていたら、スイッチングウィンバックをしようと思うだろうか。
これは、吉田松陰先生にも言える。
もしかしたら、吉田松陰先生は、牢獄入れられて二度と出られない可能性があった。
それでも、勉学を止めなかった。そして、牢獄の中でも、人と一緒に学ぶことを止めなかった。
これからの日本の復活には、必要不可欠な2つの事柄。
絶対にあきらめないこと。
可能性が限りなくゼロでも前を向いて進むことだ。