ジョジョブログ 人は、なれる、なれのはて。

つい最近、投稿したが、株式投資の勉強はしているものの、超低ボラティリティで、やっている。

しかし、そういう場合でも、動くときは動くのだ。

一日で300円くらい動けば、動いたほうの時を経て、昨日今日で、4000円マイナスとなった。

しかし、今までSBGをやっていた時は、一日で4000円マイナスなんて、毎日のようだった。

というか、4000円のマイナスなんて、マイナスじゃないとまで思っていた。

なぜなら、1日2日で、10万、20万のマイナスもざらにあったからね。

そういう時期を経てきているのに、今の4000円マイナスは「どうしようか、だいじょうぶか」って思ってしまっている。

でも、よく考えたら、そういう考えに陥りたくないから、超低ボラティリティでやっていたことを忘れていた。

もし、これが通常のボラティリティで投資をしていたら、2日で10マン20マン行っていたのだと思う。

だって、SBGは始値で300マイナスくらいからはじまっているからね。

こういう時は、じっと我慢。

明日は健康診断だし、じっとガマん。今の僕なら、それができると思えるのが、すごい。

変わったと実感できる。

長期保有は売らない。

売らずにヘッジする。それがダンの鉄則。

ジョジョブログ 一周回って孔子と論語

今から、20年前、自殺未遂事件と生きていかなければならないという、気持ちのはざまにあったとき、心を落ち着かせてくれたのは、歴史であり、論語だった。

ありとあらゆる自己啓発の本を読み、生きる意味、死んでいく意味を探し求めた。

過去には、こんな苦しい思いをした人がいる。そして、どんな苦境に立たされてもあきらめなかった人がいる。

そんな本ばかりを読んで、人生を変化させようとした。

まぁ、そんなこんなで、死ににしねずに今まで生きて、今から10年前に今の仕事のスイミングスクールのコーチとなった。

だけど、給料も安いし、このまま生きていても意味ないなぁという、気持ちはいつまでも変わらなかった。

でも、そんなとき、10日間の休みが取れて、人生を捨てた場所である、愛媛県松山市に訪れた。

松山は自分にとっての最悪の場所。しかし、20年目に訪れた松山は優しかった。

人が優しかった。そこで目覚めたんだ。

このまま、死んでいくのはもったいない。

その日から、自分を変えようと思い始めた。

そこで、出会ったのが、株式投資だった。

株式投資なら、今の自分を変えられる。

でも、甘くなかった。

いくら、勉強したところで、勝てるようにならない。

株式投資に出会ってから、2年間、苦痛と苦悩の連続だった。

しかし、それもまた転機が訪れた。

苦しいばかりだったから、少し休んでみた。

投資を休んでみた。厳密にいうと、超低ボラティリティの投資にしてみた。

といっても、一日に1000円くらいは動くこともあるし、100円くらいの時もある。

そこで、心を落ち着かせてみたら、人生が急に楽しくなった。

生きることが、楽しくなった。

生きるって素晴らしいって思った。

これからは、もっと楽しんで生きようと思った。

みんなも、ふと立ち止まって、いろんなことを学んでください。

それには、論語はいいかもね。

ジョジョブログ 覚悟が道を切り開く

僕は今まで何を迷っていたのだろう。

何のために生きているとかいうことばかりを考えていた。

結婚していないことを悩み、給料が低いことを悩み、借金があったことを悩み、正社員じゃないことを悩み、株で勝てないことを悩み、体重が減らないことを悩んだ。

そんなとき、日経平均株価が動かなくて、「よし、いまだ」と、投資の世界から少しだけ身を引いて、(しかし、20万程度の超低ボラティリティでETFの投資は続けている。)読書にいそしんだ。

そこから学んだこと。

勝てなくてもいい。生きているだけでいい。人と比べなくてもいい。人には人の悩みがあるということ。

お金持ちにはお金持ちの悩みがある貧乏には貧乏の悩みがある。

お金がなくても働くに働けない人は、どうするか。

世をはかなんで自殺する。

このコロナかでは、そういう人が増えているってことだ。

このブログでも、以前に書いたはずなのに、忘れていた。

ありとあらゆる自分の利益をそっとそばにおいておいて、このコロナかで人に勇気を与える行動を伝えていくことを徹底的におこなうってこと。それを覚悟するってことだ。

それは、お金は入ってこない。

しかし、それで、いい。

それを覚悟した。

お金は必要だが、株式投資で損をするなら、それは、もっともっともったいない。

もう、いい加減、損はしまくった。

あとは、リラックスして、もっともっと大きなことに投資をするんだ。

株式投資、しかり、日本人をめざめさせることしかり。

ジョジョブログ メンタルの工場3

どんな人にも一生に一度は幸福が訪れるという。

僕は、その幸福の時代を二度と味わうことはないのか。

そもそも、幸福だったと思う時代なんて、とおってきた覚えはないけど。

だけど、少なくとも20年前には、お金がなくて食事もできない時期があったと思うと、それにくらべて、今はどれくらい、幸せかしれない。

その時期の今を幸福と呼ぶのであれば、これ以上の幸福はないのかもしれない。

しかし、将来の不安が付きまとって離れない。

僕は、結婚もしていないし、子供もいないから、急に無職になっても、何も問題はないから、心配なんて、何の心配があるのって感じだ。

そういうこともあって、今は、情緒不安定になって、株式投資もほとんどやっていない。

今はただひたすら読書をしてメンタルの向上を図っているところ。

しかし、それが、もしかしたら、これからの人生の向上につながるとやまない

何のために生きているのかなんて、考えなくていい。

ただ、生きていれば。

ジョジョブログ メンタルの工場2 43歳にして手取り15万がもたらすメンタルの不安定さ

未来の不安というものは一体何か。

それはまぎれもなくお金の問題である。

手取り15万でどうやって暮らせていけてるのか。

僕は、結婚もしていないし、子供もいない。

母は亡くなっているので、父親と生活している。妹は結婚して家を出ている。

生活費は入れていない。

だから、暮らせていけている。

しかし、それが未来の不安へと直結している。

今は、43歳、スイミングスクールの契約社員。すでに13年目。

しかし、手取り15万。

僕は今までに何度も仕事を放り投げたことがある。

いきなりやめる。仕事に行かない。疾走する。

仕事をしてちゃんと辞めたのは数えるくらいしかない。

逃げ出したのは、6回くらい。

自殺未遂も2回だ。

仕事はすれども、いやになっては逃げだして、自殺未遂をしてを繰り返す生活だった。

でも、今の仕事が苦しいながらも10年以上続いているのは、奇跡なんだ。

1年続いたことがほぼなかったから。

給料の面で人と比べて悲しんでいる自分がいる。

しかし、逃げ出した回数は人と比べてはいけないくらい多い。

これを書いているうちに逆に心が安定してきた。

正社員でメンタルもめっちゃくちゃ安定しているなんて都合のいい仕事はそうない。

たとえ、給料がほかの年代の人の半分以下でも、自殺しないで生きているほうがいい。

そう、このブログを書いているうちに思えてきた。

思えてきたというより、実際そうだったというのを自分自身との対談で分かった。

親がなくなったらどうしようとか、思わなくてもいい。

なるようにしかならない。

もしも、本当に苦しくなったら、生活保護を受ければいい。

僕は、正しく規則正しい生活をしている、ただメンタルが弱いので、正社員には、向いていないそれだけだ。

仕事には役に立っているし、世の中の役には立っている。

子供に問われた。

なんで、スイミングスクールの先生になったのかと、僕は答えた、子供たちに希望を与えたいと。

それが答えだったんだね。

ジョジョブログ メンタルの工場 ①

メンタルはどうやって作られるのか。

それをこの2,3週間、徹底的に読書をしたり、ネットで調べたりしてみた。

そもそも、なーんにも心配がなかったら、落ち込むこともないはず。

未来のことで心配があるから、不安になるし、何かをしようと思う。

それをリブートのきっかけにしようと思ったからだ。

まず、僕のメンタルは、ガラスのようだ。

しかし、粉々には砕けないと知った。

少し経てば回復する。

例えば、株式投資で200万負けたとしても、将来、その200万を返す見込みが1%でもあれば、メンタルは回復できる。

それは、すなわち、生きていること、その元手をためることができるという希望。

それは、すなわち、日々の支出よりも、収入が多いということを意味している。

そういうことがメンタルに多いにかかわっていると知ったのだ。

一か八かで負けて、もう、生活もしていけないのであれば、復活のしようがない。

それを知ったのだ。

ジョジョは生まれ変わるための作品である。 第6部 始動!!

そして、僕もリブートする。

世の中には、youtubeをはじめ、ジョジョ関連の動画、サイト、ブログは数多くある。

ファンは何を求めてそれらを見ているか。

それを考えてみた。

自分自身は何を求めてみているのか。

それは、ジョジョという作品を知りたいということだ。

じゃぁ、このブログは何のために存在するのか。

それをくる日も来る日も考えた。

そして、ようやくようやく答えが出たのだ。

僕が最近気が付いたのは、ジョジョは全作品を通して生まれ変わりの物語であると。

全作品を通して、生まれ変わるということがものすごくフューチャーされている。

それを、僕の人生を通して、伝えていきたいということだ。

このブログを初めて何度もやめようと思った。

だけど、やめるというより、これからだ。

これから、ジョジョの再生の物語を紡いていこうと思う。