僕はブチャラティチームのメンバーに似ている。昨日はあやうく人生を壊しそうなった

少し前のブログでブチャラティのチームのメンバーがどうやって、仲間になったのかのいきさつをやりましたね。

この記事のタイトルにある、メンバーに似ているというのは、その加入するきっかけになった説明は、そのメンバーの生きざまだったり、性格だったりすると思うからです。

とおもうと、僕の性格にとてもよく似ていると思うからです。

特にフーゴ。フーゴは幼いころ(本当に幼く見えるので飛び級だったんですかね)、教授を大きめの本で滅多打ちにしました。(もしかしたら殺害かも)。

この時のこの瞬間のフーゴの心のうちに分け入ってみましょう。

まず、前提で、以前に教授の家で食事をしています。それは、仲のいい教授と生徒という間柄ではないようです。もしかしたら、変なことが教授の家であったかも。でも、図書館で教授に会った時のフーゴは変な顔をしていませんでしたから、怪しいそぶりはあったのかもしれませんが、変なことをしたまでは至っていないんでしょう。だが、フーゴは勘がいいので、いずれ、そのように発展していくのかもしれないという、危機感は持っていたのかもしれません。

そんな時に図書館で、教授がまた食事をしようと肩に手を添えます。その時のフーゴは冷や汗をかいています。

僕が注目したいのはこの瞬間のことです。やばいやばいやばい。フーゴの気持ち、とてもよくわかるんです。このままだと、何かしちゃう。止めてくれ。自分自身を抑えられない。

そこで、いなせるか、キレちゃうか、の違いはどこから生まれるのでしょうね。

結局、フーゴはキレました。

その瞬間、キレル。
一度キレたら、止まらない。本で滅多打ち。

その後の転落人生をこの瞬間は、想像できるのでしょうか。人間って、一瞬の先の瞬間を予想できるはずなのに、なぜ、この瞬間は想像できないのでしょうか。フーゴともあろう人が、冷静沈着のフーゴが、なぜ、将来のことを予測できないのでしょうか。キレるって、いったいどんな意味があるのでしょうか。

話は変わって、昨日のことです。焼肉に行きました。

隣に座っている、おそらく誕生日会であろう親子が仲睦まじく座っていました。

中学生の男の子と小学生の女の子、幼児の男の子とお母さんです。

まぁ、最初は別に何とも思わなかったんですが、中学生のお兄ちゃんが、塩かなにかを皿に乗せるときに、むちゃくちゃ、こぼしていたんですね。それを、お母さんは「全部、こぼれているよと」指摘しました。そうすると、思春期のお兄ちゃんは、どうも、「わざとこぼしたんだ」みたいなことを言って反抗したようです。

中学生って、わざとじゃないことを指摘されても、嫌がる傾向にあるじゃないですか。そんなの、かるく、あしらえばいいのに、お母さんが、「そんなやりかたしかできないなら、この店から出てけ!」といきなり怒鳴りだしたんですよ。お兄ちゃんも「嫌だ」と応戦します。そんなやりとりを何回か続けて、そのうちに「お前なんか死ね!」とお母さんが言い出したのです。そうやってやり取りをしながら、お母さんはお手拭きをお兄ちゃんに投げつけました。

その時、隣で聞いたり見ていた僕は、怒りがふつふつとわいてきて、自分の中でやばいやばいやばいやばいとつぶやいていました。

そして、とうとう、家族連れに聞こえるようにテーブルをバーーーーンってたたいて

すみませーーーーん!!!!!!!席を変えてくれませんかーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と、極度の怒りの口調で言いました。

後輩も一緒にいたのですが、僕の尋常ならざる様子に、先に店員に連絡をしてくれて、席を変えるように頼んでくれていたようです。

もし、あの場にいたら、僕は、何か、言い争いか、取っ組み合いになっていたかもしれません。そんなことで警察沙汰になったら、会社はもちろんクビで、暴力をふるってしまったもんなら、人生もうまくいかなくなるでしょう。でも、あの瞬間は本当に抑えられなかったのです。

でも、本当の抑えられなかったら、口を出しに行っていたはずなので、よく我慢しましたよ。

でも、思えば、せっかく食事をしに来ているのにうるさくしたら、迷惑だというのもありますが、子供に「死ね」と言っていた、お母さんに僕はキレそうになっているんですよ。だって、結構、年もいっているお母さんだったと思いますが、言葉などがまるで子供。子供同士のけんかを見ているようでした。

そういえば、ミスタがチームに入るきっかけとなったのも、見ず知らずの女性が、襲われているのを止めに入ったのが、きっかけですよね。

だから、僕も、なるべく、首を突っ込まないようにしなきゃとは思っているんですが、ついつい、熱くなって、自分で首を絞めているんですよね。

皆さんも、気を付けてください。キレても、いいことはありませんよ。

金銭感覚がおかしくなりそう。

今でも、20年前でも、600万円は大金です。

あなたと結婚したいから、私の代わりにお金を返してほしい。そうしたら、結婚するわと言われ、サラ金で借りた600万円は、自分では返せなくなり、親に返してもらうことになったというのは、すでにこのブログで伝えました。

もともと、僕の家はお金持ちの家ではないですが、食べるものや着るものに困るというような家庭ではありませんでした。

お父さんもお母さんも倹約家で、余分なものは一切買わないという夫婦でした。

それなのに、僕は、どちらかというと、浪費家でした。21歳までは。

いらないと思うものまで、結構買ってしまっていました。

もう、過去のことですが、小学校4年生の時に妹と二人で、お父さんの実家の北海道に行ったことがあります。その時に、何かあるといけないからと、何もなければ、使わないはずのお金を大量に持たせてもらいました。

なんと、そのお金を北海道でセイントセイヤのクロスのおもちゃを2個も買ってしまったのです。おそらく、35年くらい前の値段で2個で5000円くらいだったと思います。

北海道から戻ったら、これでもかというほど、怒られました。

中学校で塾というものは、行かなかったのですが、当時、学習教材の訪問販売があって、それを百万円で買ってもらったことがあります。それは、お父さんからすれば、これで立派な高校に行くことができれば、いいという思いだったのだと思います。

でも、結局、やらずじまい。仮に塾が月に1万円だったとしても、3年間で36万円にしかなりません。

普通の高校には結局行けず、専門学校の高等部に行くことになりました。当時は、お父さんやお母さんがどれほどの思いで、お金を稼いでもらって、いるかを全然わかっていませんでした。

で、サラ金の600万。しかも、一気に600万円ではなくて、200万円を3回ですからね。こんなことが続けば、とっくに、フーゴのようにかんどうされてもおかしくないと思うんですが、お父さんとお母さんは最後まで温かく見守ってくれました。

お母さんは6年前に亡くなってしまいました。お母さんに孫を見せたかったのですが、見せられなくて残念です。お父さんは元気ですが、お父さんにも孫を見せることが今のところ出来そうにないので、心が痛いです。

僕は外見がとても悪く、人に見せることができないくらいですが、それでも、お金さえあれば、結婚は出来るかもしれないと思って、結婚への自信が付くと思って仕事とは別で株式投資を始めましたが、全くのぼろ負け。初めて1か月でもう25万円負けています。

一度、お父さんに借金を返してもらってから、心を入れ替え、お父さんやお母さん以上に不必要なものを買わず、食べたいものも買わず、節約に努めてきました。

契約社員という立場上、自分のメンタルの弱さのせいで、責任ある仕事ができないという判断のもと、低い収入でも、転職は出来ず、でも、なんとか、生活は出来ています。

それは、まだ、お父さんが仕事ができているからです。

もし、あと、数年でお父さんが退職したなら、どうなるのでしょう。年金や貯蓄だけで暮らしていけるのかが、とても、不安で、食べるものが無くて、飢え死になんてことになったら、どうしようと本気で本気で思っています。

それで、始めた、株式投資なのに、負けが続けば、せっかくためたお金も無くなっていってしまいます。まだいいや、まだいいやと負けが続くと本当に心までやばそうです。せっかく、このブログで覚悟や決意を固めているのに、揺らぎます。

なので、このまま株式投資を続けるか、とても、迷うところです。もしかしたら、自分の知識や技術?が上がって、儲けが出るかもしれませんが、いまのところ、からっきしまったく、とんでもなく、だめです。

でも、負けません。絶対に絶対に仕事とは別の収入を得て、今度こそ、お父さんを養っていけるために頑張りたいのです。

みなさんも、頑張ってください。僕も負けずに頑張りますから!!