何のために生きるのかを考える人が多いっぽい。
最近、見たテレビの情報によれば心配性なのは、性格じゃなく、遺伝子の問題だそう。
アフリカには心配性の遺伝子の人が多く、アメリカになると少なくなるって。
ちなみに、日本人は半分は心配性なんだって。
ということは、半分は楽天か。
僕は、心配性。
でも、それは僕のせいじゃない。
ジョジョを通じて人生を高めていくブログです。ジョジョ以外のネタもたくさんあります。人生は戦いだ。
何のために生きるのかを考える人が多いっぽい。
最近、見たテレビの情報によれば心配性なのは、性格じゃなく、遺伝子の問題だそう。
アフリカには心配性の遺伝子の人が多く、アメリカになると少なくなるって。
ちなみに、日本人は半分は心配性なんだって。
ということは、半分は楽天か。
僕は、心配性。
でも、それは僕のせいじゃない。
株式投資とコロナは関係ないのに、プラスに転ずるところで、コロナの急拡大。
もう、馬鹿としか言いようがない。
こればっかりはどうしようもないのに、もう人生が嫌だ。
おいおい、今年の一文字は年末に発表するもんじゃないのかよと突っ込まれそうですが、2022になってまだ5日。
その中で、年末年始の13日間という長い休みの中で、とにかく仏教の番組を見まくった。
起きても寝ても仏教仏教。
とにかく、今の苦しみから抜け出したくて。
さて、その苦しみが何かを洗い出してみる。
今の現状の仕事内容には満足している。
スイミングという仕事は楽しいし、今の自分にとって、体や心の負担は少ない。
問題は、その給料と将来について。
現状、手取りは15万円。おいおい、44歳の契約社員手取り15万かよ。
そんなんで、よく生きていけるな。
そうなんですよ。子供を養っていけるなとかのレベルじゃなくて、生きるか死ぬか、日本で死ぬことはないにしろ、年金や生活保護のレベルしかもらっていない。
これも、学卒で入った会社で失敗したもののなれの果てかと嘆いております。
でも、そんな中、もらっている人はもらっているはず。
その違いは何か。
精神の弱さ。心が弱い。
人間関係などですぐ苦しくなって辞めちゃう。
そういう人が、世の中にはごまんといるはず。
みんな同じじゃないと思うけど、本当につらいから。
給料も上がらないし、もし、転勤などなったり、とんでもない人が同僚になったらどうしようと思うと夜も寝られないんです。
だから、苦しみから逃れて仏教のテレビを見る。
でも、悶々とした日々も続くんですよ。
株式投資もうまくいかない。
だから、今はデイトレをやめて、じっくり見ています。SBGだけだけど。
あぁ昨日は初めてプラス圏に行ったのに、リカクはできませんでした。
そして、今日は大幅下がる予想。
悩むことばかりだ。
いいんです。サムケンが勝手に言っているだけだから。勝手にジョジョと言わせておけば。
毎日見れば、ジョジョな感じが分かってくるから。
スイッチングウィンバック。
そうだ、今の僕にはこれが必要だ。
誰も見ていないこのブログをただただ更新し続けるのは自分の心を落ち着けるため。
ルーティンと非ルーティン
人生のうち、どちらが楽かを考える。
なにか、大事なものがつかめそうな気がする。
実は、ドーパミンとアドレナリンと第6感が関係があるような気がしてならない。
僕がいつも見る(感じる)未来を予感する能力は、なにか、それと関係がある気がする。
もう少しなんだ。
もう少しで、この世でとっても大切なことが見える気がする。
誰にとっても大切なこと、それがあれば、誰も自殺をしなくて済むという大切なことが見える気がする。
今まで、悩んできたこと、すべてがもう少しで解決できそうな気がして、それは、株式投資でも、ブログでも、ダイエットでも、僕が生きていくべき三本の柱も、もちろん、すべてを通り越して、また、その三つをさらに突き詰めてみんなに教えてあげられる何かになる気がして。
僕は、神から選ばれた人間。いや、神というより地球から選ばれた人間。
地球を滅亡から救う使命を今現存する人間の中でたったひとり、見つけ出せるように産み落とされたたった一人の人間。
その人間が得た地球からのメッセージをみんなに伝えることによって地球を滅亡から救い出せるたった一人の人間。
地球はありとあらゆる形で僕に試練を与えてきた。
その試練を生き残るという試練を乗り越えてきた今こそその才能の全てを発揮するべき時。
今まで、学んだことをすべて取り込んで、人の役に立つ、地球の役に立つべき時が来た。
しかし、まだ、その地球を救うすべを得られたわけじゃない、それはこれからだ。
持っていないものを手に入れたい。
それに尽きると思う。
死んだら、あの世に何も持っていけないのであれば、苦しい思いをしてまで手に入れる必要があるのか。
僕の持っていないもの=人が持っているものなんだ。
だって、そんなことを言ったら、戦車も飛行機も持っていない。
だから、持てるもの=僕が持っていなくて人が持っているものということになるんだ。
それは、お金。奥さん。子供。苦しくない仕事。
今の僕は極度に恐れている。変化することを。
刈谷から離れることを今のメンバーが良すぎて、また、仕事に行くのも苦しくなることを恐れている。
だから、苦しみから逃れるために年末にやりまくっている仏教の番組を見まくったり。
それでも、不安はなくならない。
そういう時は、昔のことを思い出すんだ。
どれだけ、大変だったかを。
食べるものもなくてひもじい生活をしていた時から比べるとどれだけ、今が素晴らしいか。
おとついと昨日、やる気が出なかった。
13連休も半分が終わった。
一日目はお父さんと大須。
2日目から5日目は萩岡山旅行。
6日目は、家から一歩も出ず。
7日目は、1時間くらい家を出たものの、心が鬱々としてやばかった。
今日、7日目は、お父さんと京都。
明日、8日目は、病院と焼肉に行く予定。
明後日9日目の大晦日はたかしと焼肉屋。
10日目から13日目のお正月三が日は予定なし。
そして、1月4日から新年の仕事へ。
もちろん、他の人に比べたら、とてつもない充実した日程だったと言われることだろう。
でも、昨日も一昨日もなにかやるが出なくて家からあんまり出たくなかった。
投資のやる気も勉強も身が入らず、ただ家でゲームにふけるのみ。
今でも少しおっくうなきもち。
それには、快楽が足りてないんじゃないかという結論に達した。
それは、快楽だ。
ただ、ただ、快楽を求めたい。
それだけだったんだ。
それが分かっただけでいい。
それがわかったら、悟りも開ける。
長い長い旅が終わろうとしている。
本当に長い旅で、本当にいろいろあった。
人生を凝縮したような旅であった。
3泊4日の旅なのに、選択肢がいくつも現れ、瞬間的に判断しないといけないこともなぜかいくつも起こった。
その度に、あ、これはこうしたほうが良かったのかとか、後で気づくのである。
行きは、本当に何もなく、決めていた通りに進んだ。
2日目からだ。
なぜか、いろいろ選択肢があって、どうするか迷って、判断しての繰り返し。
だけど、いろいろあったけど、あと少しで旅も終わる。
あとは明日以降に熱を出さないことを祈るばかりだ。