ジョジョブログ 父さん、僕に力をください

人によってプレッシャーに強い、弱いがあるのは何故でしょうね。

僕が思うに、プレッシャーに強い人は、何があってもすぐに対応できる能力を持っているんでしょう。あとは、対応できなくてもなんとかなるやという、楽天的な考えの人かもしれません。

僕は、いろんなことを考えすぎちゃうからダメですね。

第1部でジョナサンは一般ピープルが、ゾンビとなって、そのゾンビを倒すときに、心が痛んで、「おとうさん、僕に強い力をください」と、言ってますね。この時点で、ジョナサンの父はディオに殺されています。

あのつよくなったジョナサンでさえ、心が痛むのですから、僕の心は常に痛んでいます。

昨日は、お母さんの命日。

「お母さん、僕に強い力を与えてください。僕に強いメンタルをください。誰に何を言われようとへこたれることがないメンタルをください。そして、乗り越えた先にある幸せを見極める力をください。」

今日はなぜか心が穏やかですね。何故でしょうか。わかりません。

メンタルがほしいと望み続けたら、神様は本当に強靭なメンタルをくれたのでしょうか?

ジョジョブログ 弱さを知って強くなる

1を伝えるとそれだけで10までわかってしまう人。

1を伝えるのにとてつもなく時間がかかる人。

もちろん、僕は、後者です。

承太郎は、頭もよく一瞬でいろんなことを判断できてすごいなあと思います。

でも、僕は、昔から、何かを言われても、ぱっぱっと行動できません。考えに考えて出した結果でも間違えていると言うことが普通にあります。

その度に僕は、なんにもできない人間だと落ち込むのです。

そして、しかられてまた落ち込む。

CTCに奇跡で就職したのに、辞めて、その後正社員として定着出来なかったのには、そういうことが多いに関係があります。

確かに二、三度は正社員になれたことはあったんですが、すぐにやめてしまいました。

僕がいまだに契約社員で手取り15万円と言う理由はそういうところにもあります。

同じ悩みを抱えている人は果たして僕だけでしょうか。

と、同時に、僕が悪いのでしょうか?

最近思うことは僕はなんにも悪くないんじゃないかと言うことです。

仕事ができないことは、とうの昔にわかっていることです。ただ、それは、自分の怠慢が理由なのでしょうか?

そうではないのではなかろうかと、思い始めたのです。

だとすると、出来ないことは出来ないと、思ってしまえばいいのです。

出来ることからやればいいのです。

出来ないことはある、そして、、上司や先輩や後輩に、この人は仕事が出来ないと言われても仕方がない、だって本当に出来ないんだから。

給料なんてなきに等しいんだから、評価なんてあってないものなんだから。

自分らしく生きよう、自分らしくと言うのは、楽しく生きること。

僕は、仕事人間じゃないから楽しければそれでいいんです。

休みが楽しければそれでいいんです。

仕事も指導そのものは楽しいですよ。

人間讃歌を、信じていきましょう。きっといいことは訪れます。

ジョジョファンだからぶっちゃける

ジョジョが好きだからこそ、ジョジョをもっとよく知りたい。

ジョジョファンと言いながらも、全体を通して読んだのは1度きり。

特に1部は、もう何度も何度も読んでいるんですけど、4部以降はおそらく、1度きりです。

そんななか、特に4部以降の話ですけど、ぱっと見て、そのコマが何を表しているのかは、わからないことがあります。

で、4部のアニメを見て、本当によくわかったのは、アニメだと、ものすごく、わかりやすい。

もっと、もっと、1部だけじゃない他の部も、何度も何度も読んでジョジョ博士と呼ばれるようになりたいです。

ジョジョ 公式アプリ ディオが殺害した人

今までなんでインストールしなかったんだろうと本気で思っています。

ジョジョの公式アプリ 何を思ったか、昨日、初めてインストールしました。

ジョジョ アニメ 第5部のアプリはインストールしたんですけどね。

やっぱり目玉は、ジョジョのコミックスがカラーで見れることですね。

まだ、全然、見れていないですが、一部無料で、アプリ内のコインを使えば、全部、見れるのかな?

そのコインを集める方法が、広告を見たりジョジョの名言を見たりなので、実際に課金をしなくても見れるっぽいです。

なので、このブログを見てくださっている人は、とっくにインストールされていると思いますが、万が一まだインストールされていない方は、インストールしてみてはいかがですか?

で、その中のコンテンツでひそかに楽しみにしているのが、ジョージ・ジョースターという小説です。これは、ジョセフの父親、すなわちジョージ・ジョースター2世の話かな?

今、3部のコミックスの最初の方を見ているんですが、ディオが誰を殺害したかということが載っているんですけど、一人目 ダリオ・ブランドー 二人目 ジョージ・ジョースター1世 三人目ジョナサン 四人目 ジョージ・2世となっています。

そこで、ジョージ二世は間接的に殺害と載っているので、そのあたりの物語を漫画ではなくて、小説で描かれているんでしょうかね。

小説で言うと、フーゴの小説は購入しましたが、まだ、読んでいないので、それも読みたいですね。

あとは、岸辺露伴 ルーブルへ行く も図書館で借りてきたので、読みたいです。読みたいものばかりですけど、仕事を転勤になって、まだ、なれなくて、疲れてすぐ寝ちゃうので、なかなか、見れないです。

株式投資もまともにできないということで、今は、休憩しています。

なにか、改めて、人生を変えるきっかけとなる出来事でも、遭遇しないかなぁなんて思ったりしています。

でも、ジョジョは人間賛歌。人間賛歌は誰かの手助けや偶然を求めるのではなく、自分で道を切り開くものですからね!

ジョジョブログ 覚悟をしてここまで来た。

遅ればせながら、朝の連続テレビ小説のなつぞらを見ています。

まだ2週目に突入したばかりですが、なかなか、面白いです。

全然、ジョジョも見れないくらい気が落ち込んでいましたが、少しずつ回復してテレビを見れるようになりました。

そのなつぞらでも、覚悟のシーンを見ました。

人生はなんでこんなに選択や覚悟や決断の連続なのでしょうね。

実生活はもちろんドラマでもそうです。

戦争で家が無くなって、北海道に来たのはいいものの、土が荒れ果てて作物が育たない。とてもじゃないけれど、住めたもんじゃない。貧しい暮らしは心までも貧しくしてしまう。

でも、やり方が出来てなかった。我流でやっていてもダメだった。やり方ができていれば、で、時間をかければ作物はきっと育つ。と教えられた。

その時に必要なのは覚悟です。3年から5年、頑張ればきっといい土に育つ。ただ、今はまだそんな先は見えない。その時にそのまま、北海道に住み続ける覚悟ができるかどうか。北海道は極寒の地、貧しいままでは、雨風をしのぐのも困難かもしれない。

覚悟の裏には、リスクがある。そのリスクをも超えていけるものが、満足を得られる生活をしていけるのでしょう。

今は、僕も大変な時ですが、そんな時大声でゴールドエクスペリエンスと叫びます。今は、今まで味わったことのない黄金体験なのだと。ゴールドエクスペリエンスなのだと。

皆さんは、ゴールドエクスペリエンス、してますか?

ジョジョブログ 君と僕 お前、貴様、

全国のジョジョファンの皆様。こんばんわ。今日も始まりました。ジョジョブログ。復活のジョジョブログ。でも、見てくれている人が本当にいらっしゃるかどうか、まだ疑っています。

だって、どこにも、宣伝していないですし。

でも、今まで、確実に毎日更新しているというのは誇りです。三日坊主にならなずにすんでいます。

毎日、ジョジョのネタを仕入れるのは、楽なことじゃあないんですけど、何もしないよりは絶対にましですから、死ぬまで更新を続けます。

さて、今日も毎度のことながら第1部のネタです。

タイトルにあるように、今日は呼び方については投稿しようかと思います。

まずは、ジョナサン・ジョースターから、ジョナサンはじぶんのことを「ぼく」と言います。そして、相手のことを「君(きみ)」と言います。

ディオはじぶんのことを途中まで「ぼく」と言っていました。でも、途中から「おれ」に変わりました。でも、時と場合によって「ぼく」ということもあります。そして、相手のことは「君(きみ)」と言っていましたが、途中から「おまえ」というようになりました。

中日ドラゴンズの応援歌にお前という言葉が使われている問題ですが、ドラゴンズファンとしては、そんなの全然問題ないと思っています。

ただし、子供に指導をするときには、間違っても、お前という言葉は使いません。〇〇君(くん)という言い方はしますが、〇〇ちゃんではなくて、○○さんという言い方に変えています。そういうところまで、いろいろ気を遣わないといけない時代になったんですねぇ。ジョジョの中では、貴様という言い方が結構されますが、日常生活で貴様なんて言う人はまずいないでしょうね。

どうやら、日本で、僕を(ぼく)と言い始めたのは、吉田松陰先生じゃないかと言われています。そして、君(きみ)と言い始めたのも吉田松陰先生じゃないかと言われています。

吉田松陰先生と言えば、覚悟の人。こーんなところでも、繋がっていたんですねぇ。

ジョジョブログ ジョナサンが目指しているもの ジョナサンコード

皆さん、こんにちわ。今日は、ジョナサンコードを勉強していきたいと思います。

ジョナサンコードって何?っていう人のために少し解説しますね。

もともとは、このブログでジョルノ・ジョバーナがどういう思いで行動しているかを研究していてそれをジョルノコードと名付けたのが始まりです。コードというのは規則みたいなものですね。要はマイルールというようなことをかっこよく言い換えたものです。

ジョルサンコードは簡単です。それは紳士。そもそも、ジョナサンは物語の冒頭で紳士を目指しているということをセリフとして言っていますね。

それでは、紳士とは何でしょうか。

辞書によれば 品格があって礼儀正しい男子 とされています。

ただ、それだけでは、何か物足りない気がします。

辞書の中には紳士=ジェントルマンと書かれていた記事もありました。その中でこれぞ、紳士、これぞ、ジョナサンというものもありましたので、紹介します。

https://www.men-joy.jp/archives/390180
ここに載っていました。

(1)レディーファーストができる

(2)上手にエスコートしてくれる

(3)自分を犠牲にしてでも彼女を優先してくれる

(4)正しい行いをしようと努めている

(5)信念がある

(6)細かいことを気にしない

(7)弱いものに優しくできる

まさに、ジョナサンそのものですね。

そして、この7か条って、ジョナサンだけではなく、現代人である私たちもしっかり意識していかなければならないことなんじゃないかなって思うんですよ。

この中でも5番の信念があるというのが、一番大切だと思います。実は、この5番が一番根底にあり、そこから他のことにつながっている気がします。

皆さんも、この世知辛い世の中で、何を残したいか、何をしてみたいかをしっかり意識して生きてみてください。

人生が変わったといえる、何かをしましょうよ。何かを残しましょうよ。

ジョジョブログ 本業と副業

おととい、尊敬するバンドのザ・ズーターズーターズの、ライブに行きました。

小さなライブハウスでの、ライブの場合、終わったあとに、演者とお話をすることができます。

僕の場合は、ここでの会話が明日へいきる手がかりとなっています。今日は、そのお話をしましょう。

ズーターの歌詞は人を応援する歌詞が非常に多いです。それは、もはや詩というより、魂の叫び。

本当に、ズーターファンや世の中のことを思って、心の叫びが音楽となって発信されていきます。

それって、この、ジョジョブログと、似ていませんか?

引いては、飛呂彦先生と、同じかもしれません。

そうですね、ズーターと僕と、飛呂彦先生は、同じことを形を変えて行っているかもしれません。

ただ、違うのは、ズーターは、歌を歌うことが本業であり、飛呂彦先生は、漫画を書くことが本業であり、僕は、この、ジョジョブログは、職業にもなっていないと言うことです。

もし、ジョジョブログを、本業とするなら、読者の皆さんが見たくて見たくてしょうがないくらいのコンテンツを作っていかなければならないですし、日によってクオリティーの差があっては、ならないのです。

確かにこのジョジョブログでも、時には、素晴らしい投稿もあると信じていますが、それは、まだ、1パーセント未満でしょうか。

しかも、ジョジョとは、関係ないことも投稿していますしね。

まあ、初めて半年くらいで、

本当に毎日更新出来ているのがほぼ、奇跡とは言えますが、その質をもっと高めていきたいです。

その点、ズーターのライヴはいつも全力投球!いつ見ても面白い!そして、ジョジョも。

もしかしたら、それも、覚悟の違いかもしれません。

何かを始めたいのであれば、何もかもじゃなく、これと決めて取り組むのも手かもしれませんね。

ジョジョブログ 覚悟は過去からやってくる

こんにちわ。サムケンです。

今日は覚悟について考えてみます。

ジョジョ五部には、ありとあらゆる覚悟がちりばめられています。その場合、大抵の場合は、自分やチームに危機が迫って、選択を迫られているときに、逃げないで立ち向かう際に使われています。

さて、ジョジョには、今まさに決断しないと死に直結する場面が数えきれないくらい出てきます。それは、命を狙われているということが大きいのですが、皆さんの生活の中で、今、この瞬間に決断しないと死に直結するなんて言うシチュエーションがあるのでしょうか?

ほぼ、ないのではないでしょうか?

それでは、現代に住む僕たちが行う覚悟とはどういう場面で使われるのでしょう?

決断イコール覚悟とは言えないですよね。

今日はライブにいくことを決断しました。何て言う言い方は何か変です。

でも、こう言うとどうでしょう。今日は、仕事があるけど、仕事を休んでライブにいくことを決断しました。

やはり、自分にとってマイナスになることと、天秤にかけると言うことが覚悟の裏側にはあるようです。

わかりやすく、僕の例で言いましょう。

僕は、ダイエットをすることを覚悟しました。と言うと、その言葉の裏側には、食べるものを抑える、トレーニングをすると言うことを明示しているのと一緒です。

だけど、覚悟をしたからと言って、その場で急に命を奪われたりと言うことはないはずです。

ダイエットで、本当に覚悟するのは、お腹が減りすぎてしょうがないときに、食べないと言う選択ができるかです。

ダイエットをすると宣言したときの覚悟が強ければ強いほど、食べないと言う選択の割合が強くなります。

未来への願望、そして、過去の覚悟、そして、現在の我慢。

このトライアングルが、整っていないと乗りきれないですね。

これは、ダイエットに限ったことではなくて、すべてのことに通じることではないでしょうか?

もし、不安になったら、このトライアングルを思い出して、強い気持ちで乗り越えてください。

見返せば、ジョジョ五部だけではなく、すべてのジョジョにも、そして、人生にも通じることだと思いますよ。

ジョジョブログ 苦しんでいる人はアバッキオに助けられる

まさか、まさか、自分の書いたブログに励まされるなんて。上の埋め込みリンクは僕が5月の中旬に書いたブログです。

その時は、また、転勤もしていなくて、ここを見ている皆さんに送ったメッセージだったのですが、今、見てみると、アバッキオのセリフが、強烈すぎて、本当に生きている意味を考えさせられる内容です。

苦しみの答えは未来からくることが多いと思うんですけど、時が和らげてくれるとかいう言葉も聞いたことがありますし。

でも、今回は完全に過去からのメッセージですね。自分自身からのメッセージとアバッキオからのメッセージ、そして、飛呂彦先生からのメッセージ。

アバッキオは常日頃から思っていたんでしょうね。自分は何をやってもダメな男だと。それを自分自身で肯定するのが怖くて、組織の手足となって生きていた。でも、そんなアバッキオも本当は、正しい正義の心を持っていたのかもしれません。なので、こんな死の間際にこんな天国とも夢ともわからないシーンでこんなことを考えてしまったのでしょうね。

皆さんがいま行っていること、仕事でも、勉強でも、はたまた、何もしていなかったり、悪事に手を染めていたり。

それを誰かに肯定してもらわないと、身動きが取れないっていうこと、よくありますよね。

本当に、このままの状態でいいのかって、良く思いますよ。

で、僕は、最近、思ったことがあります。

最近の投稿で新しいことをしたり、ルーティンを変えたりと、今までと違うことをやるということに、自分の意義を感じていましたが、少し気持ちが変わってきました。

今まで行ってきたことって、無意味と思ってなかったから続けてきたんじゃないのかなって思ったんです。

皆さんが「あーあ、こんなことやってて、なんか意味があるのかな」という、行動や勉強があると思います。僕は、それが、人を傷つけたり、犯罪に手を貸しているということじゃないんだったら、やっててダメなことなんてないんじゃないかと思えてきました。

例えば、学校の勉強でも、テストにも出ない全く関係ない教科を好きでもなく勉強する人はいないと思いますし。それは、学校のテストに出るから勉強をするっていうちゃんと意味があるってことです。

例えば、仕事をしている人でも、自分の今の仕事に全く関係もなく、将来にも全く関係もなく、ましてや興味もないことを意味もなく、本を読んだり、学んだりする人ははっきり言って存在しないと思うんです。

少しでも、将来に役に立つかもと思っているから、勉強をするんでしょうし。楽しいと思うから、テレビやゲームをするんだと思いますし。そして、ゲームだったら、そのほかの何事も出来なくなってしまうほど、のめりこんでしまっては、依存症だと思いますが、それをコントロールできたら、立派なストレス発散なんだと思いますし。

なので、今、皆さんが行っていることの99.9パーセントは意味のあることですよ、きっと。そして、常に疑問を持って行っていることはもしかしたら、残りの0.01パーセントに当たるかもしれないので、少し考え直してもいいかもしれませんね。

もっと、気楽に考えて生きるように僕もしてみますね。