ジョジョの正しさを学ぶ

荒木飛呂彦先生は、言った。

ジョジョは、王道であると。

王道とは、何か。

それは、主人公が正義ということである。

ジョジョは、正しいのだ。

正しいことを行い、悪を正すのだ。

人間は、特に日本人は、そういう物語に心惹かれる。

心の奥底で、正しさを求めて生きているのだ。

僕は、今、迷っている。

仕事を辞めて苦しかったとき、ジョジョを読んで、正しさを求めた。

吉田松陰先生の正しさを必死に学んだ。

苦しかった時から、10年以上の時が流れ、正義の心が失われてしまった。

だから、D4Cも、やめられないし、勉強しなくてゲームばかりやるようになってしまった。

お父さんが、銀行の魔の手、投資と言う詐欺まがいのものを守るために勉強をしまくったのに、お父さんがその毒牙を抜かれたら投資の勉強もしなくなってしまった。

僕は今迷っている。

何のために生きているのだと。

守るものもない人間は、何を糧に生きていくべきか?

その答えを求めに松陰神社に、行ってきた。

そこは厳かでとてつもなく正しかった。

貧乏でも、守るものがなくても、正しければいいのだろうか。

誰か、教えてほしい。

D4C 抑えれば偉大な人物になれる

どうしてもこらえきれない衝動がある。

僕はD4Cが、こらえきれない。

いともたやすく行われるえげつない行為のことだ。

今は、そのD4Cをこらえて別の楽しみを快感にしようと必死だ。

僕にとってD4Cは、快感なのだ。脳が気持ちいいと感じる、やめられないのだ。

本当に脳が頭が気持ちよさを感じる。

でも僕からD4C受けた人にとっては、この世から逃げ出したくなるほどの苦痛かもしれない。

だから、今は、食べることを快感にしようと必死だ。

しかし食べると太る。

なので、今度は、食べる快感を、別の快感へ。

デメリットが、ない快感を探す毎日。

でも、D4Cができないと、頭が、くらくらして、生きている意味がないと感じてしまう。

それはもう、病気なのだ。

しかし、あきらめない。

ジョジョブログ D4Cはイベント時に注意だ。

D4Cの99.9%は満員電車で行われている。

それがD4Cと名付けたゆえんだ。

いともたやすく行われるえげつない行為が、そこにはある。

D4Cを今でも行っているものは本当に軽い気持ちだ。

軽く触れればいいとでも思っている。

でも、D4Cをされた方は深刻だ。

D4Cをするものは、いともたやすく

D4Cをされた方にとってはえげつない行為なのだ。

イベント時には人が多いからD4Cがしやすい。されやすい。

ちょいと、手のひらを返せば触れることができてしまう。

待ちに待ったコンサートなどで、この人D4Cですなどといえば、せっかくのコンサートにいけなくなってしまう。

それを付け狙う。

行動もD4Cなら、思考もD4Cだ。

そこんところをよくわかった上でD4Cを行う。

帰りも同じだ。

ドームツアーなどならば新幹線で帰らなければならないからイベントが終わったときにはダッシュで帰る。

そこを付け狙う。

このひとD4Cですなどと言おうもんなら、新幹線に乗り遅れる。

そこんところをよくわかった上でD4Cを行う。

どこまで卑劣で下劣なのだ。

お前らは本当に人間か。と、僕自身も自分に言い聞かせる。

今後の人生において二度とD4Cをしないと。

ジョジョブログ ありのままを話そう 痴漢の呪縛から自ら解き放たれるように努力する

 全然、ブログを更新しなかったのには、いくつか理由がある。それは後ほど。

そして、このブログは、本日から、痴漢からの完全な脱却を目指していく、こともメインコンテンツに含むことにする。そのようなブログに変える。

その中で、時にはシリアスに、時には、楽しく、僕自身はもちろん、苦しんでいる皆さんにも為になることを目指していく。

 痴漢ほどD4Cなことはないと思う。ちなみにD4Cとは、ジョジョの第7部のボスのスタンドの名称で、ディーフォーシーと読む。日本語でいうと『いともたやすく行われるえげつない行為』である。スタンドの能力としては、またいつか。

このブログでは、特別な表記がない限り痴漢のことをD4Cと呼ぶことにする。

頭がD4Cになると、そのことしか、考えられなくなる。