やめた、やめた!!!
ここ、最近、ジョジョのアニメのストーリーだけを追おうとして、きっと見ている方も面白くなかったんだろうなって、ずっと感じていました。
その間も、写真を入れるとか、入れないかとかで、アクセス数は変わるんだろうかとか、忠実に文字だけストーリーを追っていけば、いいんじゃないだろうかとか。
そんなの、関係なかったです。
このブログでは、少なくともこのブログでは、本当は必要なかったんです。
このブログでは、ストーリーだけを追う、必要はない。
必要最低限のストーリーは追っても、ただ、ひたすら、あらすじをおう、必要はないツッ!!!
いろいろ、考えすぎていました。ここ、数週間。でも、今回のアバッキオの件で、よくわかった気がします。
いろいろ、考えすぎていました。
本来の人生はとてもシンプルで、いろいろ考えすぎなくてもいいのだと。
自分がしたいと思った方向にただただ進んでいくのだと、それは、起承転結のように。ひたすら、繰り返していく。
さて、前半で、キングクリムゾンにひと月やられ、一瞬で絶命したと思われる、アバッキオ。
でも、ここからが、飛呂彦先生のすごいところで、ただ、単に、読者に死を突き付けるのではなく、おそらく、飛呂彦先生的には、過去の回想シーンだと、思わせておいて、実は、ここは、天国的なシーンなんだと。
そこでに、セリフが特徴的です。
その天国的なシーンで、警察官が指紋を拾っています。その指紋がもし見つからなかったら、どうするんだい?犯人が無罪になったとしたら、どう思って苦労をしょい込んでいるんだいと聞きます。
私は、結果だけを求めてはいない。
結果だけを求めていると人は近道をしたがるものだ。
近道した時、真実を見失うかもしれない。
やる気も次第に失せていく。
大切なのは、真実に向かおうとする意志だと思っている。
向かおうとする意志さえあれば、たとえ、
今回は犯人は逃げたとしても、
いつかはたどり着くだろう。
向かっているわけだからな。
このセリフを聞いた時、身震いがしました。ジョジョブログをやっている神髄はこれだ!
ただ、ストーリーを追うことだけじゃない。こういうシーンがあるから、こういうシーンを作り出せる天才的な、飛呂彦先生がいるからこそ、そこについて言っているんだと。改めて思いました。
飛呂彦先生は、思っていると思います。無駄なシーンはないが、そのシーン単体では、何の意味もなさない。それは、未来からくる答えだと。
人生もそうなんですか。
今、ただ、生きていること、この瞬間瞬間に、意味はないかもしれないけれど、それは、未来になったときに、過去を振り返り、意味を成すことなのか。
今、とても、やる気になっていて、すぐにでも、大金持ちになりたいと意気込んでいる僕に警鐘を鳴らすようなセリフ。アバッキオに人生を救われる。それは飛呂彦先生に人生を救われるということ。
ストーリーをすべて負う必要はない。
以前、俺は、警官になりたいと思っていた。
子供のころからずっと。
立派な警官になりたかったんだ。
かつて、
あんたのような意思を抱いていたこともあった。
でも、ダメにしちまった。
俺って人間はな、くだらない男さ。
なんだって、途中で終わっちまう。
いつだって、途中でダメになっちまう。
アバッキオは、自分をくだらない男と言い、その警官は、そんなことはないといいました。その警官はアバッキオを守るために死んだ警官でした。
アバッキオとこの警官のやりとり。今思えば、ジョジョの中の数ある名シーンの中でも、何をしなければ、ならないということを一番思い出させるシーンなのでは?
皆さんは、今、生きていることに誇りをもって生きていらっしゃいますか。夢をもって、その夢を実現するために生きてらっしゃいますか?
一年前の僕にその質問は、ある意味愚問でした。だって、勉強なんてしても意味ないでしょう。結局、あんなに勉強したのに、何も変わらなかったじゃんと、思っていました。
ただ、それは違います。今思えば、その勉強が、それが何につながるか分からなかった、その勉強こそが、今のこのモチベーションにつながっているのです。
ナランチャが悲しむシーンは、こちらも泣けてきます。
そして、MOVEOVER。moveoverとは、自分の意志は必ず、周りが引き継ぐという意味です。
死の直前、アバッキオは、リプレイを終わらせていました。
とうとう、ブチャラティは、ボスの姿を見ることができました。
そして、あれ、今回は、なぜか、 to be continued が出てこない。