矢で居抜かれるにしろ、自分の努力や修行で強くなるにしろ、成長するといくことに違いはありません。
ジョジョのなかでも、波紋やスタンドが急成長することがまあまああります。
ジョナサンの森のなかでの修行、ジョセフのシーザーとの修行、承太郎のディオとの戦いのなかでの目覚め、仗助の、頭をけなされるときのプッツン?ジョルノのレクイエムか。
など、まだ、六部以降は思い出せませんが。
それらのすべては、何もないときに自動的になったのではなく、自ら、努力したか、危機に陥ったときに発動しています。
それは、人間も同じではないでしょうか?
なにも起こしたくない人生に、勝手に転機が起きるのは、本との奇跡だけで、大抵はたねをまいたあとのことを奇跡と呼ぶのではないでしょうか?
奇跡を信じるのは、ただ待つだけではなく、自分ができることを行ってこそ奇跡を待てるというもの。
それは、人事を尽くして天命を待つってことですね。