悟りを開くことを考える前に、どんな状態になったら悟りを開いたといえるのか。
国語辞典やネットを活用してその意味を調べることは無意味だ。
なぜなら、悟りが開かれること自体、その人それぞれで違うからだ。
僕にとっての悟りとは、未来の不安を何も考えなくなることだ。
僕ははっきり言って仏教は知らない。だから、悟りという言葉の意味に定義があるなら、その悟りという言葉を捨てねばならない。
ともかく、僕が目指したいところ、それは、いわゆる仏教の悟りといわれるものに近いと思われ、何事にも動じない境地。
それは、世離れした世界かもしれないがそれはわからない。
そして、僕は思うのは、吉田松陰が目指したようにただ一人で高みを目指すのではなくて、日本国民全員が目指すところだ。
意味のないネットサーフィンを止め、意味のないテレビ、YOUTUBEを見るのを止め、挙句の果てには意味のない読書さえも。
そうすることで、皆が、日本を高めたいと思い、そしてひいては世界平和を目指していく。
そんな境地になっていきたいのだ。
もちろん、仕事のことや将来のことで不安になることはある。しかし、それを延々と頭の中で繰り返していては、何も進まないってことだ。