もう一つ分かったことがある。
萩への長い旅の中で、松陰先生について書かれている本をずっと読んでいた。
松陰先生の熱い思いが、本当に伝わってきた。
自分のその場にいるようだった。
でも、萩の地に来て、跡を見ているうち、「おや?」と思った。
人に会ってない、人と話していない。
前回来たときは、いろんなガイドさんがいたり人がいたから語り合えたんだ。
今回の旅にはそれがない。
松陰先生が、萩で本を読んで勉強できることをわざわざ旅をしてまで得ようとしたものがなんだったのか、わかった気がする。
じゃぁ、今の時代に松陰先生について史跡を回るだけじゃ何も変われないのか。
そもそも、何かを変わろうとして、この萩に来たのか。
わざわざ高いお金をかけて、暇つぶしにきたのか。
何かが分かりかけた気がする。
あとちょっとなんだ。
わかりかけてきた気がする。
松陰先生が何のために生きていたのか、そして僕は何のために生きるべきなのか。
あと少しで分かる気がする。