こんにちわ。サムケンです。2日前の投稿で僕は
トリッシュ
「私、父親のこと、好きになれるのかしら?」
ブチャラティ
「そんなことを心配する親子はいない。」
このシーンについて、よくわかりませんと、投稿しました。なんですけれど、どうも引っかかってずーっと覚えていたんですけど、20話の後半を見たら少しわかる気がしました。
実は、僕にも、同じ経験があったのです。それは、今から7年前。お母さんが亡くなった時。当時、僕らの家族は狭い家で3人暮らしでした。妹はいますが、もう結婚して家を出ています。その当時には同棲を始めていました。
がんが発覚した時、家事を一切していなかった僕は、急遽、食事以外の全ての家事をすることになりました。お父さんは、食事を担当することになりました。1年間の闘病の末、胃がんで亡くなりました。亡くなるまでは絶対に亡くならないと信じていたのでそんなことを微塵も感じてはいませんでしたが、亡くなった直後から、本当にその当日だと思いますけど、お父さんと狭い家で二人暮らしなんだと思い始めました。うまくやっていけるかなと本気で思っていたと思います。ただ、僕が30を超えていただけにそこのところはコントロールできる自信はありましたけど、実際に時をすごしてみないことには分からなくてとても不安だったのです。
ここらへんの気持ち、上のトリッシュとブチャラティのやりとりにも通じるところがありますね。また、ブチャラティがお父さんと暮らしていくという決断をするときに、お父さんと二人暮らしでうまくやっていけるのかと不安にならなかったのかと非常に興味深いです。
ブチャラティの父親を表すナレーション
ブチャラティの父親は人付き合いは下手だったが、
まじめで正直な漁師で、この世のあらゆる残酷さから
家族を守ろうとした男だった
後半の最初のシーン 実はたった1行のこのナレーションにブチャラティの全てが詰まっていると思います。
前にも、伝えたと思いましたが、僕は結婚詐欺にあって現金600万円をだまし取られています。そのときには、仕事がありながら、逃げ出し、自殺への死の旅をしました。警察に保護されて、でも、なお、今、生きているのは、お父さんがこの世のあらゆる残酷さから家族を守ってくれたからだと思います。
本当なら、仕事をほっぽり出して逃げたのだから、損害賠償も払ったのかもしれない。借金600万円はなけなしでお父さんが代わりに返済してくれました。そして、その時にすべて散在してしましました。なのに、いまだに、そのことについては一切怒られたことはなく、むしろ、生きていてくれてよかったといわれるくらいです。
いくら、自分の息子のためとはいえ、自分がためた大金を一瞬で失っていく気持ちはいかなるものでしょうか。
その時のくやしさをばねに、お父さんは家族のこと以外の全てにお金を使うのをやめ、おそらく、また僕が同じことになった時のために、お金をためてくれていたようです。
最近、その金額を教えてくれて、びっくり仰天するくらいの額でした。
僕は、失った過去を取り戻すのに必死だったけれど、お父さんは、それでも、何かあった時のために必死に努力してくれていました。お父さんがなにかほしいものを買ったということを最近まで聞いたことがありませんでした。それほど、家族のために、心を鬼にして頑張ってくれていたのです。改めてそれを考えると涙が止まらないのです。
この、ブチャラティの父親のことをみていると、そのことが思い出されてなりません。
ここを見ている皆さん。皆さんは頑張って生きてくれています。ただ、もしかしたら、皆さんが頑張ってくれるように、皆さん同様、いや、それ以上に頑張ってくれている人がいるかもしれません。いや、ほとんどの人が他の誰かに守られているはずです。それを忘れないようにしてくださいね。