まさか、まさか、自分の書いたブログに励まされるなんて。上の埋め込みリンクは僕が5月の中旬に書いたブログです。
その時は、また、転勤もしていなくて、ここを見ている皆さんに送ったメッセージだったのですが、今、見てみると、アバッキオのセリフが、強烈すぎて、本当に生きている意味を考えさせられる内容です。
苦しみの答えは未来からくることが多いと思うんですけど、時が和らげてくれるとかいう言葉も聞いたことがありますし。
でも、今回は完全に過去からのメッセージですね。自分自身からのメッセージとアバッキオからのメッセージ、そして、飛呂彦先生からのメッセージ。
アバッキオは常日頃から思っていたんでしょうね。自分は何をやってもダメな男だと。それを自分自身で肯定するのが怖くて、組織の手足となって生きていた。でも、そんなアバッキオも本当は、正しい正義の心を持っていたのかもしれません。なので、こんな死の間際にこんな天国とも夢ともわからないシーンでこんなことを考えてしまったのでしょうね。
皆さんがいま行っていること、仕事でも、勉強でも、はたまた、何もしていなかったり、悪事に手を染めていたり。
それを誰かに肯定してもらわないと、身動きが取れないっていうこと、よくありますよね。
本当に、このままの状態でいいのかって、良く思いますよ。
で、僕は、最近、思ったことがあります。
最近の投稿で新しいことをしたり、ルーティンを変えたりと、今までと違うことをやるということに、自分の意義を感じていましたが、少し気持ちが変わってきました。
今まで行ってきたことって、無意味と思ってなかったから続けてきたんじゃないのかなって思ったんです。
皆さんが「あーあ、こんなことやってて、なんか意味があるのかな」という、行動や勉強があると思います。僕は、それが、人を傷つけたり、犯罪に手を貸しているということじゃないんだったら、やっててダメなことなんてないんじゃないかと思えてきました。
例えば、学校の勉強でも、テストにも出ない全く関係ない教科を好きでもなく勉強する人はいないと思いますし。それは、学校のテストに出るから勉強をするっていうちゃんと意味があるってことです。
例えば、仕事をしている人でも、自分の今の仕事に全く関係もなく、将来にも全く関係もなく、ましてや興味もないことを意味もなく、本を読んだり、学んだりする人ははっきり言って存在しないと思うんです。
少しでも、将来に役に立つかもと思っているから、勉強をするんでしょうし。楽しいと思うから、テレビやゲームをするんだと思いますし。そして、ゲームだったら、そのほかの何事も出来なくなってしまうほど、のめりこんでしまっては、依存症だと思いますが、それをコントロールできたら、立派なストレス発散なんだと思いますし。
なので、今、皆さんが行っていることの99.9パーセントは意味のあることですよ、きっと。そして、常に疑問を持って行っていることはもしかしたら、残りの0.01パーセントに当たるかもしれないので、少し考え直してもいいかもしれませんね。
もっと、気楽に考えて生きるように僕もしてみますね。